たこそーはとてもいいやつ

人間となんらかの生き物たちがともに暮らすこの街にもゴールデンウィークが訪れました。

人間もなんらかの生き物も、あるいは遠くに故郷があり、あるいは遊びに行きたい場所があり、それぞれ車に乗って旅立っていきました。この街には高速道路が通っているので、あらかたどんな街へでも、山へでも、海へでも車で行くことができます。そのためゴールデンウィークのような大きな休日になると、この街はすっかり静かになってしまいますが、そんな街を歩くことを楽しみにしているものもいるのでした。

メイスターもそのひとりでした。メイスターはネコですが、まるまるとした星のような形をしているので、メイスターと呼ばれていました。あまり難しいことを考えたり話したりすることはありませんが、感じたことや考えたことを素直に言葉にするので、多少こにくたらしい時はあっても、メイスターのことが嫌いな人はあまり見たことがありません。

メイスターは人の少ない街を歩こうと、たこそーの家を訪ねました。この日はゴールデンウィークの最終日で、遠くへ出かけていったものたちが帰ってくる前に、人の少ない街を満喫しようと思ったのです。

たこそーはタコです。頭がまるまると大きくて、茹で上がったように赤い体をしています。メイスターよりは少し難しく物事を考えたがるようでしたが、メイスターにそれを話しても「ヘェー」「まじか」「はーい」「ヤッター」「すごくすごい」といった言葉しか返ってきません。たこそーはそんなメイスターといるとかえって居心地がいいのでした。

「たこそーいる?」

メイスターはたこそーの家の玄関から声をかけました。たこそーはタコなので大きなタコツボを横に倒したような家に住んでいます。そのタコツボの蓋のような大きな木の扉を、メイスターは足元に落ちていた石を拾って何度も何度も打ち鳴らしました。

「メイスターやめて、扉が壊れちゃうから。たこそーはちゃんといるから。ここに」

すぐに、タコツボのような大きな木の扉を開けてたこそーが現れました。けれどもメイスターに怒っているというわけではありません。たこそーの家を訪ねる時、メイスターはいつもこうするのでした。



「たこそー! 歩こう! 人がいないから!」
「今日でゴールデンウィークも終わりだからね。歩こうか」

たこそーにはメイスターの言葉がよくわかります。ゴールデンウィークの最終日に街を歩いておきたいこともちゃんとわかっていて、メイスターが来るころにはちゃんと外に出る支度もすんでいるのでした。

ふたりは街に向かって歩き出しました。空はとてもよく晴れていて、時々、これも遠くへ出かけることのなかったトリがゆっくりふたりの頭の上を通り過ぎて行きます。そのたびに、メイスターは空を見上げて「トリってひまそうだなー」とつぶやき、たこそーは「トリにもいろいろあるんだよ、きっといろいろ」と言うのでした。



メイスターやたこそーが暮らすこの街にも市街地と郊外があります。たこそーの家のように大きいタコツボのような、あまり人間が建てないような家はたいてい郊外にあります。それは別に人間以外の生き物たちが迫害されて街を追われているというわけではなくて、たこそーの家のように大きなタコツボのような建物などは市街地に建てることが難しく、生き物たちは自分の好きな家を建てるために郊外を選ぶのでした。市街地は人間の街とあまり変わりません。ただし人間となんらかの生き物がともに暮らす街ですので、アパートで隣りの部屋のドアが開くと出てくるのはアルパカやヒツジやカバやファービーやウニやヒトデだったりします。バスや電車にも同じように乗りますし、同じ会社でデスクを並べて同じ仕事をします。そんないろいろな生き物たちが大勢集まる市街地は、いつもお祭りのようです。

そのお祭りのような市街地も、この日はとても静かでした。お店はたいてい閉まっていました。年中無休のお店は開いていましたが、お客が一人もいないので、例えばコンビニエンスストアではレジに肘をついたアルバイトのカエルが、舌をベロベロさせて暇そうに通りを眺めていました。家電量販店では人間がペッパー君になんとか落語を一席教えようとしていました。バスも電車も運転手がひとり乗っているだけで、つまらなそうに運転しています。もっとも普段からお客が大勢乗っていても、運転手たちは大抵つまらなそうに運転しているのでしたが。



「いないなー!」
「静かだね」

そんなことを言い合いながらふたりは街を歩いて回りました。しかし、ひととおり見て回るとやはり静かな街は静かですので、もうこれでいいかな、という気持ちになりました。メイスターの「いないの飽きたなー」という言葉を潮に、ふたりは帰ることにしました。そろそろ遠くに出かけたものたちが帰って来はじめる時間でもあります。少しずつ、道路を走る車が増えてきました。

高速道路はなぜ橋をかけて高いところを通っているのでしょうか。市街地から郊外に移るころには、高速道路は高架になっていました。そこにはもう旅行や帰省などから帰ってくる車がたくさん走っていました。はやくも渋滞が起きて、もう走っているとは言えないくらい、のろのろとした走りです。

「この辺りは昔は海だったんだって。だからこの街にはタコやサカナやウニやヒトデがいるんだって。お父さんに聞いたことがあるんだけどね」
「たこそー! なんか音しない?」

メイスターに言われてたこそーが耳を澄ませると、確かに何か低い音が聞こえます。地震でしょうか。怖いな、高架の下は危ないからもっと離れた方がいいかな。などと考えている間に音はどんどん大きくなっていきます。地面も揺れ出しました。逃げる間もなく地面がどんどん沈んでいきます。アリジゴクの巣に飲まれるように、ふたりはもう逃げ出すことができません。高架の高速道路は支柱がぐらついて今にも折れてしまいそうです。メイスターは固まってしまっています。たこそーははじめてのことでなにがどうなっているのか、恐怖もありましたがなにより興奮して知らず知らずのうちに声を上げていました。

「なにこれ!すごーい!」

すると突然、たこそーの頭がものすごいスピードで膨らみはじめました。クレーターのようになった地面よりも大きく、支柱を失って今にも折れそうな高速道路に届くほどの高さです。たこそーの頭が高速道路を支えている間に、車は大急ぎであるいは戻り、あるいは進んで、亀裂のないぐらつかない場所まで避難しました。たこそーが頭を動かすと支えていた道路が砕けて辺りに散らばります。


やがて、たこそーの頭は静かにしぼみ始めました。完全に小さくなってしまうと、クレーターの底のメイスターに砕けた道路が落ちてきてしまいます。たこそーは急いでメイスターの手を取って、まだ大きい頭のまま、大きい頭を傘にしてメイスターを守りながらクレーターを駆け上がりました。急な斜面に破片が重なり、ちょうど階段のように登ることができるのでした。メイスターは「すごいなー! たこそーはすごくすごい」と繰り返しています。このように頭が膨らむたこそーを初めて見たのでした。

クレーターの縁まで駆け上がると、ふたりはそこに座り込んでしまいました。興奮が冷めて、腰が抜けてしまったように動けません。たこそーの頭もすっかり元の大きさに戻っていました。

「たこそーすごいな! すごくでかかった!」

メイスターがこう言うと、たこそーは少し恥ずかしそうな顔をして応えました。

「なんか、興奮すると大きくなるんだって。頭がダンゴムシみたいなヒダヒダになってて、興奮すると伸びる、みたいなことを言われた。これ、あんまりやりたくないんだよなー」
「なんで? でかいのすごいのに」
「こういう変な力を持ってると、みんなのために役立てるとか言ってたこそーを捕まえようとするやつらがいるんだよ。関係ないよね。力を持ってたら、それは誰かのために使わなきゃいけないのかな」
「車が落ちなくて役に立った」
「そうだけどさ、あれは別に助けようと思って膨らんだわけじゃないから。あっ」

遠くから人が走ってくるのが見えました。たこそーは急いで走り出しました。

「すみません! お名前だけでも! あなたにお礼を言いたい人がたくさんいるんです!」

そんなことを言いながら走ってくる人を、たこそーは見向きもせずに走り続けます。あの大きなタコツボのような家まで走って帰るつもりでしょう。メイスターもあとを追って走り出しました。走りながらメイスターは「たこそーはとてもいいやつ」と思いました。




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